空想の書き起こし

たまにはガッツリワナビな話もする。

 

投稿した小説が3次落ちした。

正直1次落ちするんじゃないかと思ってた作品なので大健闘である。まぁ1次通過後はなるべく残って欲しいっていう欲が出て来るので悔しくはあるけど。

今回結果が出たのはワナビやって3年目で1年目から欠かさず投稿してた賞。

 

1年目:3次落ち

2年目:4次落ち

3年目:3次落ち

 

確実に2次は通過出来る実力って自惚れても良い?

投稿総数はだいたい750~900ぐらい。その中から上位100くらいに残れてはいるけれど受賞以外は結局何もないのと同じ。

次回作のプロットはもう出来上がってるし、評価シートのアドバイスを参考に次も頑張る。

 

・・・私の思考はとっ散らかってるので、執筆中に次に書きたいネタが降ったり湧いたり浮かんだりしている。

ネタ帳にメモはするけど、我慢して目の前の執筆を完成させるようにしてる。じゃないと1作も完成出来ない。

ファンタジー書いてる時にSFネタ考えついたり、少女向け書いてる時に少年向け書きたくなったり、

節操ない。

 

空想家なのであんまり現代モノは書かない。

それ以上に歴史モノは書けない。知識が足りなすぎる。

一人称より三人称のが書きやすいけど、最近は一人称で読者にカタルシスを感じて貰えるような文章を練習してる。

 

一番好きな作業はプロット作りで、一番苦手なのが書き出し。

物語を動かし始めるのって難しい。まだ情報をほとんど開示出来ないし、でも先を読みたくなるような引きが欲しいし…てんてこ舞い。

推敲はだいたい2~3回。投稿後は1回も読み返さない。使い回しもしない。

1つの賞につき一本勝負。

毎回渾身の力作のつもりで送ってる。

 

頭に浮かんだ場面を正確に文字に起こす力が欲しい。

 

「本好き」という肩書きのハードルを上げる

※性格の歪みが前面に出てます。

 

SNSのプロフィール欄に「本が好き」とか「本なら何でも読む」とかあるとめちゃくちゃ質問したくなる。

あなたが指す本とは、小説のみならず絵本からビジネス書、医学書に歴史書まで何でもござれなんですよね?

本好きを名乗っている人の本紹介ツイートが小説ばっかりだと

はあん?本好きじゃなくて小説好きって言えよ!

って思ってまうよ。

 

本=小説じゃねーから。

 

たまに小説の世界に没入するのが苦手って方が「自分は本読めない」って思い込んでるけど、それは小説が肌に合わないだけでエッセイとか理系本とか哲学書とか、別のジャンルでハマるものがあるかもしんないよ、小説だけで本が読める読めないを判断するのは性急だよ。

 

ハッシュタグ付けて「人生を作った10冊」だの「人生のベストテン本」だのを紹介するのが定期的にブーム起こしてるけど、小説もマンガも教養本も…みたいなごった煮な方に憧れる、ホントに人生作った本なんだなぁって。

 

こんだけギャンギャン言っといてアレだけど、私が一番好きなのは小説。次いで評論。

 

新書系は仕事や執筆の資料として必要に駆られた時に読むって感じ。

高度な専門書でない限り、一般流通している本はどのジャンルも読めるけど、自分から進んで手を伸ばすのは圧倒的に小説。

・・・じゃなかったらワナビなんかやらんわな。

 

 

字が読めないうちから絵本の暗唱(親が読んでくれたのを覚える)してたぐらい読みものが好きなんだけど、「本の虫」ではない。

本の虫はそれこそ「本であればジャンルは問わない!」人のことだと思ってる。

じゃあ文芸書にどハマりした中高校生時代は「文学少女」だったのか、っていうとそれも違う。

文学少女っていうのは国内外問わず古典作品や文豪作品を読破してる人のことで、作品名と著者名を一致させて言えるだけの私は当てはまらない。『赤毛のアン』を絵本以外で『アンの娘リラ』ぐらいまで読んでないと。

看板とかポスターとかの文字を逐一読む癖(病気?)を鑑みて「活字中毒」ってことで良いじゃんって話でもない。

活字があるのは嬉しいけど、活字がないと落ち着かないワケではない。新聞をすみずみまで読んだり、活字を求めてヒステリックなったりしない。

 

で、いざ「小説好きです!」って名乗って挙げられた作家が山田悠介さんだったり、好きな作品がラノベ・なろう系・携帯小説オンリーだと生温かい目で微笑みます。

良いんだよ、別に私もラノベ好きだしワナビだし、山田悠介作品も何作か読んだことある。

でも極端に偏ったモノだけ読んで「小説好きです!」は

ちょっと違くね?

 

「この作家の作品は全部読んでます!」レベルは尊敬します(ラノベ山田悠介作品でも)。

 

何か

あらゆるジャンル読め!

高尚な本読め!

 

って言ってるみたいになっちゃったけど、

自分の好きな本読むのが一番正しい。

食べ物だってそうだし、好みなんて偏るに決まってる。

でも、偏った状態を自覚しないまま「本好き」、「小説好き」って言い切っちゃうのはどうなんかね?って思った次第。

・・・こんなこと思う時点で私は作家に不向きだろう。

 

 

最後にこれが究極のあるある疑問なんだけど

森絵都好きです~」って言う人に「あ、私も『リズム』と『ゴールデン・フィッシュ』好きです」って返したら「えっと『カラフル』しか読んだことないです」って言われる率高いの何なの?

森絵都の『カラフル』って本が好きです」じゃダメなの?

 

多作の作家さんの本を一冊しか読んでないのに作家ファン名乗るのって、他の舞台観に行かないのに俳優ファン名乗る2.5次元の原作厨(もしくはキャラ厨)に似てるね☆

 

 

その瞬間を閉じ込めて

推しに関しては、お仕事してる姿が輝いていればそれで良いのでプライベートにまで関心を寄せない。

もしも輝きを感じられなくなってしまったら推すのを止めるかもしれないけど、どんなに年を取っても輝く姿を観ていたいし、どこかで引退しちゃったら寂しい。

 

執筆の被写体的に好きな俳優さんはお仕事してる姿も拝んでみたいけど(1回だけ拝んだ)、人生にむちゃくちゃ興味をそそられる。

どんな子供だったの、何で芸能界を選んだの、結婚するのはどんな女性なんだろう?

 

役は年を取らなくても、俳優は生身の人間である以上年を取る。

今演じている役どころが似合わなくなって来たら、私は被写体氏に興味を持ち続けられるのか?

若い頃のイメージだけを閉じ込めて、執筆に昇華出来るのか?

私がキャラクター制作に具体的な被写体を用いない原因は多分そこ。

仮に自分が作家としてデビュー出来たとして、その作品が大ヒットしたとしても、実写化あるいは舞台化されるには数年かかる。

その間にキャラクターのモデルだった"今”の彼は、"過去”の彼になってしまっている。ご本人がモデルキャラクターを演じることは非常に難しい。

 

彼が年を取って美しくなくなったとしたら、アタシは彼への興味を無くすだろう。

もしも彼が若いうちに引退したら、その後の人生をドラマチックに空想して執筆にぶつけるんだろう。

 

推し変なんてしないし、ましてやこれは恋でもない。

被写体氏には出来るだけ若さを引き延ばしたまんま、美しい人生を送って欲しい。